たかさんの生活日々の記録、写真、絵をためる小屋
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[PR]× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 あのドラッカー小説よりもし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 岩崎夏海 著より 人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことができる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。 (p130) あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには、『我々の事業は何か。何であるべきか』を定義することが不可欠である。 (p22) 自らの事業を知ることほど、簡単で分かりきったことはないと思われるかもしれない。鉄鋼会社は鉄を作り、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引き受け、銀行は金を貸す。しかし実際には、『我藁の事業は何か』との問いは、ほとんどの場合、答えることが難しい問題である。分かりきった答えが正しいことはほとんどない。 (p23) 企業の目的と使命を定義する時、出発点は一つしかない。顧客である。顧客によって事業は定義される。事業は、社名や定款や設立趣意書によってではなく、顧客が財やサービスを購入することにより満足させようとする欲求によって定義される。顧客を満足させることこと、企業の使命であり目的である。したがって、『我々の事業は何か』との問いは、企業を外部すなわち顧客と市場の観点から見て、初めて答えることができる。 (p23) やさしい問いではない。まして答えの分かりきった問いではない。然るに、この問に対する答えによって、企業が自らをどう定義するかがほぼ決まってくる。 (p24) したがって『顧客は誰か』との問いこそ、ここの企業胃の使命を定義する上で、もっとも重要な問いである。 (p23-24) 1930年代の大恐慌の頃、修理工からスタートしてキャデラック事業部の経営を任されるに至ったドイツ生まれのニコラス・ドレイシュタットは、『我々の競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは、輸送手段ではなくステータスだ』と言った。この答えが破産寸前のキャデラックを救った。わずか2,3年のうちに、あの大恐慌時代にもかかわらず、キャデラックは成長事業へと変身した。 (p25) 企業の目的は、顧客の創造である。したがって、企業は二つの、そして二つだけの根本的な機能を持つ。それがマーケティングとイノベーションである。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす。 (p16) これまでマーケティングは、販売に関係する全機能の遂行を意味するに過ぎなかった。それではまだ販売である。我々の清貧からスタートしている。我々の市場を探している。これに対し真のマーケティングは顧客からスタートする。すなわち現実、欲求、価値からスタートする。『我々は何を売りたいか』ではなく、『顧客は何を買いたいか』を問う。『我々の製品やサービスにできることはこれである』ではなく、『顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである』と言う。 (p17) マネジメントは、生産的な仕事を通じて、働く人達に成果を挙げさせtなければならない。 (p57) 焦点は、仕事に合わせなければならない。仕事が可能でなければならない。仕事がすべてではないが、仕事がまず第一である。 (p73) 働き甲斐を与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠である。 (p74) 専門家にはマネジャーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとっての最大の問題である。自らのアウトプットが他のもののインプットにならない限り、成果は上がらない。専門家のアウトプットとは知識である情報である。彼ら専門家のアウトプットを遣うべきものが、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。 専門家は専門用語を使いがちである。専門用語無しでは話せない。ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な手段となる。彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを供給しなければならない。 このことを専門家に認識させることがマネジャーの仕事である。組織の目的を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネジャーの仕事である。 (p125) 言い換えると、専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事統合する上で便りにすべきものがマネジャーである。専門家が効果的であるためには、マネジャーの助けを必要とする。マネジャーは専門家のボスではない。道具、ガイド、マーケティング・エージェントである。 逆に専門家は、マネジャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。 (p125) 成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へ行く。 (p262) 人のマネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。人とは、費用であり、脅威である。 しかし人は、これらのことのゆえに雇われるのではない。人が雇われるのは、強みのゆえであり能力のゆえである。組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある。 (p80) 『人は最大の資産である』 (p79) 企業の第一の機能としてのマーケティングは、今日あまりにも多くの企業で行われていない。言葉だけに終わっている。 消費者運動がこのことを示している。消費者運動が企業に要求しているものこそ、まさにマーケティングである。それは企業に対し、顧客の欲求、現実、価値からスタートせよと要求する。企業の目的は欲求の満足であると定義せよと要求する。収入の基盤を顧客への貢献に置けと要求する。マーケティングが長い間説かれてきたにもかかわらず、消費者運動が強力な大衆運動として出てきたということは、結局のところ、マーケティングが実践されてこなかったということである。消費者運動はマーケティングにとって恥じである。 (p16-17) 仕事を生産的なものにするには、4つのものが必要である。すなわち、 ①分析である。仕事に必要な作業と手順と道具を知らなければならない。 ②総合である。作業を集めプロセスとして編成しなければならない。 ③管理である。仕事のプロ説の中に、方向付け、質と量、基準と例外についての管理手段を組み込まなければならない。 ④道具である。 (p62) 自己目標管理の最大の利点は、自らの仕事振りをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機づけをもたらす。適当にこなすのではなく、最善を尽くす願望を起こさせる。したがって自己目標管理は、例えばマネジメント全体の方向付けを図り活動の統一性を実現する上では必要ないとしても、自己管理を可能とするうえで必要とされる。 (p140) 働き甲斐を与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。 (p74) 自らや作業者集団の職務の設計に責任を持たせることが成功するのは、彼らが唯一の専門家である分野において、彼らの知識と経験が生かされるからである。 (p75) マーケティングだけでは企業としての成功はない。静的な経済では、企業は存在しえない。そこに存在しうるものは、手数料をもらうだけのブローカーか、何の価値も生まない投機家である。企業が存在しうるのは、成長する経済のみである。あるいは少なくとも、変化を当然とする経済においてのみである。そして企業こそ、この成長と変化のための機関である。 したがって企業の第二の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。経済的な財とサービスを供給するだけでなく、よりよく、より経済的な財とサービスを供給しなければならない。企業そのものは、より大きくならなければならない。企業そのものは、より大きくなる必要はないが、常によりよくならなければならない。 (p17-18) イノベーションとは、科学や技術そのものではなく価値である。組織の中ではなく、組織の外にもたらす変化である。イノベーションの尺度は、外の世界への影響である。 (p266-267) マネジメントには、自らの組織をして社会に貢献させる上で3つの役割がある。それら3つの役割は、異質ではなるが同じように重要である。 ①自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織の特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。 ②仕事を通じて働く人達を生かす。現代社会においては、組織こそ、一人一人の人間にとって、生計の資(かて)、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。 ③自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。 (p9) そのような正当性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。これが組織の目的である。したがって、マネジメントの顕現の基盤となる正当性である。組織とは、何としての人間一人一人に対してまた社会を構成する一人一人の人間に対して、何らかの貢献を行わせ、自己実現させるための手段である。 (p275-276) あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。自己目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。 成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、間違いや失敗をしないものを信用してはならないということである。それは、見せ掛けか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱みがないことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くの間違いを犯す。優れているほど新しいことを試みる。 (p145-146) トップマネジメントがチームとして機能するには、いくつかの厳しい条件を満たさなければならない。チームは単純ではない。仲のよさだけではうまく機能しない。人間関係にかかわりなく、トップマネジメント・チームは機能しなければならない。 ①トップマネジメントのメンバーは、それぞれの担当分野において最終的な決定権を持たなければならない。 ②トップマネジメントのメンバーは、自らの担当以外の分野について意思決定を行ってはならない。直ちに担当のメンバーに回さなければならない。 ③トップマネジメントメンバーは、仲良くする必要はない。尊敬しあう必要もない。ただし、攻撃し合ってはならない。会議室の外で、互いのことをとやかく言いあったり、批判したり、けなしたりしてはならない。ほめあうことさえしないほうがよい。 ④トップマネジメントは委員会ではない。チームである。チームにはキャプテンがいる。キャプテンはボスではなくリーダーである。キャプテンの役割の重さは多様である。 (p228) 組織には、それ以下では存続できない最小規模の限界が産業別、市場別にある。逆に、それを越えると、いかにマネジメントしようとも繁栄を続けられなくなるという最大規模の限度がある。 (p236) 市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である。 (p31) 実は、規模についての最大の問題は組織の内部にあるのではない。マネジメントの限界にあるのでもない。最大の問題は、地域社会に比較して大きすぎることにある。 地域社会との関係において行動の自由が制約されるために、事業上あるいはマネジメント上必要な意思決定行えなくなった時には、規模が大きすぎると見るべきである。地域社会に対する懸念から、自らとその事業に害を与えることが明白なことを行わなければならなくなったときには、規模が大きすぎると見るべきである。 (p243-244) しかも急速に拡大しつつある市場、特に新しい市場においては、独占的な供給者の業績は、力のある競争相手がいる場合よりも劣ることが多い。矛盾と思われるかもしれない。事実、ほとんどの企業人がそのような考えをとっていない。しかし新市場、得の大きな新市場は、供給者が一社よりも複数である方が、はるかに遠く拡大する傾向がある。 (p30-31) 規模の不適切さは、トップマネジメントの直面する問題のうちもっとも困難である。事前に解決される問題はない。勇気、真摯さ、熟慮、行動を必要とする。 (p244) 真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関わる決定において象徴的に現れる。真摯さは、取ってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間で分かる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、関大たりうる。だが、真摯さの欠如は許されない。決して許さない。彼らはそのようなものをマネジャーに選ぶことを許さない。 (p147) 規模は戦略に影響を及ぼす。逆に戦略も規模に影響を及ぼす。 (p236) マネジャーたるものは、上は社長から下は職長や事務主任にいたるまで、明確な目標を必要とする。目標がなければ混乱する。目標は自らの率いる部門があげるべき成果を明らかにしなければならない。他部門の目標達成の助けとなるべき貢献を明らかにしなければならない。 (p139) これらマーケティングに関わる目標については、既に多くの文献がある。しかしいずれも、これらの目標が、実は次の二つの基本的な意思決定の後でなければ設定できないことを十分強調していない。すなわち、集中の目標と市場地位の目標である。 古代の偉大な科学者アルキメデスは、『立つ場所を与えてくれれば世界を持ち上げてみせる』と言った。アルキメデスの言う『立つ場所』が、集中すべき分野である。集中することによって、初めて世界を持ち上げることができる。したがって集中の目標は、基本中の基本というべき重大な意思決定である。 (p29) 組織構造は、組織の中の人間や組織単位の関心を、努力ではなく成果に向けさせなければならない。成果こそ、全ての活動の目的である。専門家や能吏としてでなくマネジャーとして行動する者の数、管理の技能や専門的な能力によってでなく成果や業績によって評価されるものの数を可能な限り増やさなければならない。 成果よりも努力が重要であり、職人的な技能それ自体が目的である個かのごとき錯覚を生んではならない。仕事のためではなく成果のために働き、贅肉ではなく力をつけ、過去ではなく未来のために働く能力と意欲を生み出さなければならない。 (p200) 成果中心の精神を高く維持するには、配置、昇給、昇進、降級、解雇など人事に関わる意思決定こそ、最大の管理手段であることを認識する必要がある。それらの決定は、人間行動に対して数字や報告よりもはるかに影響を与える。組織の中の人間に足して、マネジメントが本当に欲し、重視し、報いようとしているものが何であるかを知らせる。 (p147) PR
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